ゲームについて

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自宅のWi‐fiでの通信環境が、最近重く感じる。

子どもたちがパソコンの使い方を覚えて、youtubeでヒカキンの動画(スーパーマリオオデッセイなどのゲーム実況動画)ばかり観ており、データ使用量がかなり増加していることが原因と思われる。致し方ない。

子どもたちは、ヒカキンの動画に飽きたら、次はおばあちゃんに買ってもらった、ゲーム雑誌付録のDVDで、これまたゲームの実況動画を観ている。
最近のゲーム雑誌は進んでいるのだなと思う。

自分の幼いころを思い出すと、小学校4年生のころまでファミコンなどのゲーム機が自宅になくて、その反動か、中学生高校生大学生、はたまた社会人になってもゲームに明け暮れていた。
テレビやパソコンでゲームをしなくなったのは、結婚して妻の目が気になりだしてからだ。

東大出身の後輩に、子どものころのゲームのプレイ事情を聞いてみたところ、高校生くらいで卒業したと言っていた。自分とはえらい違いだ。人間何かに欠乏すると、その反動で必要以上に欲しくなることがあるのだろう。幼いころにゲームをそこそこやり尽くしておけば、高校生くらいになったら飽きるかなと思って、極力苦言は呈せず子どものやりたいようにさせている。

さすがに春休み毎日何時間もぶっ続けでスーパーマリオオデッセイで遊んでいた時は、妻の堪忍袋の緒が切れて、ゲームソフトを隠してしまったようだ。

ところで、ゲームをしなくても子どもたちが楽しめるように、父親として何か思い出にのこるような休日をプロデュースできているかというと、反省するばかりだ。
子どもたちの貴重な幼年期・少年期の時間をつぶしているだけにさせていないだろうか。

少し悩んだが、私はこのように考えることにした。
『ゲームでも、スポーツでも、ビジネスでも、勉強でも、将棋でもなんでもいい。
人がやっているのをただ眺めている人間よりは、自分でやってみる人間になってほしい。』

自分に対する苦言でもあるが、身近なところにお気軽な娯楽が増えた結果、ただ何かを見ているだけでそれなりに満足してしまう傍観者になってしまっている。サッカーで日本が勝っても負けても自分の人生は変わらない。何かを行って成し遂げることに真の喜びがあると考える。
そして子ども達にもそのような人生を送って欲しい。

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